百万遍かぎや政秋


吉田泉殿の記

  古く平安朝の時代は、この辺り一面の原野であった。
 田中神社や吉田神社はすでに現在の場所に祀られていたが、此処
 百万遍のあたりには唯、比叡山への道が一本、寂しく続いていただけ
 である。
  西園寺公経が、此地に眼をつけて泉殿を営んだのが鎌倉時代の初め
 であった。
  承久の乱後、公経は大政大臣に任ぜられ、位も従一位に進められた。
 藤原氏一門に於て最高の権威が保証されるのである。その地位と財力
 が、彼に幾つかの別荘を営ませた。
 有名な金閣寺も、始めは公経が北山山荘を営んだところだ。他に山崎の円明寺、吹田の水郷などもあった
が、この泉殿もまさにその一つである。
 泉殿とは、もと寝殿造りに付随する建築であって、苑池にのぞんで建てられたものだ。昔の本に「夏は涼し
き泉殿、鴨やおしどり織かけて」というような文句をみるが、それは納涼の場所でもあり観月の席でもあった。
 その頃は、吉田神社の東北に源を発する叡山の湧水が此の辺りに清冽な小川となって流れていた。
その小川の流れを引き込んで苑池が営まれていたのである。あくまでも美しく、そして清らかに澄んだ水の
面に浮かぶ泉殿、ひとびとは、西園寺家のこの別荘を吉田泉亭と呼び倣はすようになっていた。

                                                 奈良本辰也記
かぎやの沿革

    元禄9年             鎰屋延秋(本家)創業。
 
   (1696年)            当時は寺町二条南に店をかまえる。
   
    大正9年      
       八木政一が、鎰屋延秋より分家し、鎰屋政秋を創立。
    (1920年)
   
    大正中期   
          本家であった鎰屋延秋中興の祖・白波瀬季次郎翁の手により
               
       「ときわ木」「黄梁(こうりょう)」を創作。
   
    昭和5年      
       東山安井より百万遍に移転。この年、文教の地にちなみ
    (1930年)      
      「学び餅」を考案。
   
    昭和18年            第二次世界大戦により一時期休業。
    (1943年)
   
    昭和25年            営業を再開。二代目泰一が代表に就任。
    (1950年)   
         主家延秋の挫折に伴い、「黄梁(こうりょう)」「ときわ木」を継承。      
   
    昭和50年            北西アフリカ、アグレブ地方のモロッコを旅行中、地中海アーモンド
    (1975年)    
        の味に魅せられ、「野菊」を考案。


   │ TOP │ ときわ木 │  黄檗  │  野菊  │  益寿糖  │  学び餅  │ 余韻友情 │
  │  洛三彩  │  もえぎ  │    │ 会社概要 │ 出店ご案内 │  Q&A  │ アクセス │ 


〒606-8301
京都市左京区百万遍角
TEL:075-761-5311   FAX:075-761-5313
百万遍  かぎや政秋


ご意見、ご感想はこちらへ info@kyoto-kagiya.co.jp
Copyright © 2005 kagiyamasaaki. All Rights Reserved